知道一个词组的写法、读音和意思还称不上掌握了这一知识。须知道,世间万事皆有“潜规则”。看似语法正确表达通顺的句子,因为没留意某个表达的特定使用要求,一不小心就会成为错句了。沪友们赶紧来看看这些“患有隐疾”的句子~要记住正确是用法,别犯同样的错误哦!
あげくの果て:结果,到头来;到了最后
误用例:この度の人質救出は、多くの方々の協力のもと、当局者が慎重かつ大胆に対処したあげくの果てに成し遂げられたものである。
解说:「あげくの果て」是指造成不好的后果时才用的,比如说,「いろんな博打に手を出し、あげくの果てに店をつぶしてしまった」。像误用例那种情况,用「対処した結果」会更恰当。另外,像以下这个句子,「客はあれこれ難癖をつけたあげく、何も買わずに行ってしまった」,只用「あげく」也是说得通的。
当たり年:丰年,好年头儿;顺利〔走运〕的年头
误用例:今年の冬はインフルエンザの当たり年と見え、どこへ行ってもこんこんしている人が多い。
解说:「当たり年」是指农作物收成好的年份,以及好事连连的年份。按照例句的意思,应该用「インフルエンザの蔓延する年」才对。「台風の当たり年」「交通事故の当たり年」之类的用法都是错误的。
圧倒的:压倒性的,绝对的
误用例:営業部との社内対抗野球では、わが編集部の圧倒的な負けであった。
解说:「圧倒的」是占优势一方使用的,而处于劣势的一方不能用。例如,「横綱と小結の一番は、横綱が圧倒的な強さを示して終わった」。误用例中应该说成「圧倒的に打ちのめされた」「圧倒された」「大敗を喫した」「完敗に終わった」等才正确。另外,写成「圧到的」的错误例子也经常出现,沪友们使用时可要注意哦。
いもづるしき(芋蔓式):顺藤摸瓜;连锁式;从一个线索追查出许多人来
误用例:一地域に発生した食中毒が、各地にいもづる式に広がっていった。
解说:「いもづるしき(芋蔓式)」相当于汉语的“顺藤摸瓜”,顺着藤蔓去挖土,很多相关联的事情就会陆续出现,比喻按照某个线索查究事情。比如说,「共犯者がいもづる式に逮捕された」。像误用例那样用来说明食物中毒不断扩散的状态显然是不恰当的。
えびで鯛を釣る:用虾米钓大鱼;一本万利;吃小亏占大便宜
误用例:「前に彼に二万円貸したことをすっかり忘れていたら、昨日三万円にして返してくれたよ」「えびで鯛を釣るとはこのことだな」。
解说:「えびで鯛を釣る」是指以很少的成本或投入换取了巨大的收益。举个例子,「彼、外国旅行中、道に迷って困っていた日本人の老夫婦をホテルまで連れていってあげたら、帰国後、それが縁で就職では面倒を見てもらい、その上、嫁さんにしたのはその方の美しい孫娘だそうだ」「まさにえびで鯛を釣るとはこのことだね」。误用例中的情况只是借出了两万日元,讨回了三万日元,使用「思わぬもうけになったじゃないか」更为恰当。
御釈迦(おしゃか)になる:糟蹋,报废
误用例:彼は酒飲み運転で激しくガードレールにぶつかって横転し、二十二歳という若さでお釈迦になってしまった。
解说:「御釈迦になる」是指物品已经不能用了,成为了废品。如「乗っていた車がお釈迦になった」。虽说「釈迦」是佛祖释迦牟尼的意思,但「御釈迦」的意思是“废品”,「御釈迦になる」更是完全没有“人去世,成佛归西”的意思。大家可万万不能望文生义啊!
掌握一个词组需要知道那几个方面?写法、读音和意思就够了?别想得那么容易。须知道,世间万事皆有“潜规则”。看似语法正确表达通顺的句子,因为没留意某个表达的特定使用要求,一不小心就会成为错句了。沪友们赶紧来看看这些“患有隐疾”的句子~要记住正确是用法,别犯同样的错误哦!
蛙(かえる)の子は蛙:有其父必有其子;苦瓜藤上生苦瓜;鸡窝里飞不出凤凰
误用例:先生の御子息(ごしそく)が先生になられたのですか、やはり蛙の子は蛙ですね。
解 说:「蛙の子は蛙」的意思是蝌蚪的外形虽然和双亲差别很大,但日后也会长成和父母一个样子的,比喻大多数孩子将来也会走和自己父母同样的路,或者说平凡人的孩子终究是平凡人。(严格来说,后两种翻译更贴切哦。)可以看出,这句话是不带褒义的,所以多用于自谦或同辈之间,而像误用例那样直接对老师说,就是把理应表示尊敬的老师比喻成了微小的青蛙,显得很失礼。
風花(かざはな):雪花,飞雪,清雪
误用例:桜の木の下では盛んにビールや酒が酌み交わされ、風花がそのコップの中にも舞い落ちていた。
解 说:「風花」有三种意思:①晴天里纷纷洒落的细雪;②从上风向的地方被风吹来的的细雪;③初冬时节起风时淅淅沥沥地下起了小雨或者小雪。误用例中明显是把「風花」误解成了“风中散落的花瓣”的意思,若改成「風に吹かれた花びらがそのコップの中にも舞い落ちていた」,就不会让人觉得别扭了。
かっぱ(河童)の川流れ:淹死会游泳的;智者千虑,必有一失
误用例:あの川を泳ぎ渡ることなど、かっぱの川流れでいとも簡単さ。
解 说:「かっぱ(河童)の川流れ」的字面意思是即使是在水中畅游自如的河童,有时也会被河水冲走,比喻は某个领域的名家有时也会出现错误。比如说,我们可以这样用:「自動車教習所の先生がハンドル操作を間違えて事故を起こしたそうだ」「それではまるでかっぱの川流れではないか」。这与「猿も木から落ちる」「弘法にも筆の誤り」时同样意思的。误用例中,是把这个惯用句误解成了“轻松地渡江”的意思来用了。
枯れ木も山のにぎ(賑)わい:(虽然无聊)有胜于无
误用例:先生、枯れ木も山のにぎわいと申しますから、年末のパーティーにはぜひ出席なさってください。
解 说:「枯れ木も山のにぎ(賑)わい」原本的意思是枯树也能给山头增添情趣,用来比喻某人或某事物虽然没什么意义,但存在的话能显得没那么寂寞、冷清。于是,这又是一个多用于自谦的惯用句。我们可以这么说:「私も年ですっかり足腰が弱ってしまいましたが、枯れ木も山のにぎわいでやってきました。」要是像误用例那样用的话,便把理应表示尊敬的老师比喻成了“(没有意义的)枯木”(老师真可怜,老是被错误地比喻,摸摸~~)。这有多失礼,从汉语也能体会到了吧。